私のブログ

同じ境遇の方はどのようにして日々を過ごしているのか。そう考えているうちにここに辿り着きました。自分のために書くことですが、皆さんの何かの参考にもなればと思います。

続き

初期症状だともこの時まだ気付かず

過度なストレスだと思い込み、、

タイミングもあまりに良すぎていますが

仕事を辞めたと同時に急いで次の仕事を探しました。

ほんの少しだけ苦労しましたが、あれも嫌だ、これも嫌だ。でも、土地を変えたら意外とすぐに見つかりました。

このときにもまだ初期症状があれば気付いたかもしれないですが、辞めたとほぼ同時に症状がなくなりました。

本当に嘘みたいなタイミングです。

今振り返って思うと、お腹の子もしんどくて辛くて1日も早く辞めてほしくてそれを私に伝えるのに必死だったのかなと思います。

いつの間にか耐えることを覚えてしまった私は、極度のことがない限り"続ける"ことをしてしまうんです。

ちょっとやそっとのことがあるとすぐに辞めてしまう人達を、舐めてるな。と考えていたぐらいです。


ただ前の仕事を辞める前から、やばいな。これは太りすぎだな。人生で一番太ってるな。と思っていました。

お腹だけ出ているのを、お菓子や不規則な生活で全部お腹にいっちゃったんだ。と考えてしまってました。

因みに、私は太りやすい体質ではないです。

どちらかというと、小中高大は全部運動部だったので、脂肪燃焼しやすい方で、新陳代謝も高い方で少し運動すれば元に戻りやすいです。


この体質を自分で理解していて、お腹だけ太りすぎた。なんて考え、よくできたなと思います。


転職先で働いてから、色々なことがよくなると思っていました。


私生活も体調も体も。


私生活は私の中ですごく良くなりましたが、体調と体は戻りませんでした。

当たり前ですが。。。


立ち仕事なので、体調は終わる頃にはたまにいきなり血の気が引くような感じになり、あ。やばい。倒れる。ということが起きてきました。

手をグーにして強く握ると持ちこたえるという感じでした。


こんなことが起きても、元々貧血になりよく救急車で運ばれたり、駅で倒れて駅員室で休ませてもらって家族の人を呼んでもらって帰るなど、学生の頃からよくあったので、私にとっては深く考えることではなかったのです。


体も戻らず、むしろどんどん出てくるので(当たり前ですが。。。)必死に凹ましたり食事をしなかったりとしていました。


転職してから、少し慣れてきた頃

結構短気な性格なので、少しイラッとすることが増えていました。


友人にも相談していました。

この数ヶ月後に、色々と生活が変わる予定だったので、もっといいところを探すべきか、あと数ヶ月なら我慢すべきか。


友人は、あなたは我慢することを覚えすぎだ。頑張りすぎだ。何でそこまで自分をいじめるの?体は嫌がってるのに何でそれを無視するの?そこまで我慢する必要はない。自分に正直になりなさい。自分に優しくなりなさい。労りなさい。

と言われ続けていました。


ずっと運動部だったし、社会に出てもひたすら打たれてきたから、それが癖付いてるのかも。

と答えましたが、それは過去の話でしょ。

と。返す言葉がないですよね。




続きます。

初めまして。

私は26歳で中絶を経験しました。


話せる相手、泣ける相手、頼る相手、心許せる相手がいなくて、気付けばここに辿り着いていました。


これから自分なりの言葉で

少しずつ書いていきます。





妊娠がわかったのは、2017/5/17でした。

転職をしてバーで働いていたので

夜中の4時過ぎに仕事が終わりました。


産婦人科にいく事になったのは

仕事中に少しイラッとしてしまったことがきっかけで、帰宅途中にも生理があまりにも来ないことにイライラしてしまい、自分の体の症状をありのまま入力し、検索すると子宮嚢腫という言葉が出てきたので、これはやばい。と思い行くことにしました。


こんなに産婦人科に行くことが遅くなったことも書きます。

2016年のほとんど年末に近い時期に、年末調整があり私はそのときまだ父の扶養に入っていました。

ですが、アルバイトでも週一の休みだけだったので300万はふつうに越えていて、そのときに父の扶養から外れることになり、自分の保険証を作らないといけないことになりました。


私の性格上、友人だと優先的にしてしまうのですが、自分のことは後回しにしてしまう方で。

要するに面倒くさがりという事です。

あとは保険証は手続きから手元に来るまで、2週間ぐらい掛かると思っていたので、私にとって体さえ壊さなければ保険証は必要ない。と考えたのです。


年も明け、働く場所も変えました。

そこではとても酷い目に遭い、私は26歳ですが、人生でもうこんな酷いことは絶対にないだろう。と今思うぐらい精神的にも肉体的にもきつかった時期が1月~4月でした。


調度、妊娠初期の頃ですね。

一番安静にしないといけない時期です。


私は夜の仕事をしていたのと、将来の夢や目標、趣味や好きな事行きたいところがたくさんあったので、将来の夢の仕事として色々な場所に行っていたので新幹線や飛行機や電車は一番多く乗った時期でしたし、海外に行きたくて長時間のフライトもありました。普段から10㎝を越える高いヒールを履いてました。それでよく足首がゴキッとなったり転けたりは多々ありました。さらにこの時期が極度のストレスだった時期でもあります。


仕事が本当にしんどくて辛くて、、、。

職場で仲良くなった人が唯一の仕事での支えで。

その人がいない日はあまりなかったのですが

いない日は、今日をどうやって乗り越えようか。それしか考えていなかったぐらいでした。

ある日、その人が辞める日が来たんですが、私にとっては、これからはポーカーフェイスで働かないとやっていけない。と決心した日でした。

他人からは、読めない人。と印象が付くと思うので、やりにくいですよね。


この時期は、だいたい3月ぐらいだったと思いますが、初期症状が出る頃ですね。

話した通りの職場だったので、その症状も全部、極度のストレスのせいだ。と思っていました。

以前にもストレスが掛かりすぎで発散の先が食に走り、少しずつ太っていきました。

今回も、症状は職場が嫌すぎて、行きたくなさすぎてこうなるんだと思っていました。


仲良くなった人も辞めて、私は本当にもう目の前に光が見えなくなった。という感じになりある日突然辞めます。と連絡をし、辞めました。



この先はまた長くなるので、次へ進みます。