私のブログ

同じ境遇の方はどのようにして日々を過ごしているのか。そう考えているうちにここに辿り着きました。自分のために書くことですが、皆さんの何かの参考にもなればと思います。

初めまして。

私は26歳で中絶を経験しました。


話せる相手、泣ける相手、頼る相手、心許せる相手がいなくて、気付けばここに辿り着いていました。


これから自分なりの言葉で

少しずつ書いていきます。





妊娠がわかったのは、2017/5/17でした。

転職をしてバーで働いていたので

夜中の4時過ぎに仕事が終わりました。


産婦人科にいく事になったのは

仕事中に少しイラッとしてしまったことがきっかけで、帰宅途中にも生理があまりにも来ないことにイライラしてしまい、自分の体の症状をありのまま入力し、検索すると子宮嚢腫という言葉が出てきたので、これはやばい。と思い行くことにしました。


こんなに産婦人科に行くことが遅くなったことも書きます。

2016年のほとんど年末に近い時期に、年末調整があり私はそのときまだ父の扶養に入っていました。

ですが、アルバイトでも週一の休みだけだったので300万はふつうに越えていて、そのときに父の扶養から外れることになり、自分の保険証を作らないといけないことになりました。


私の性格上、友人だと優先的にしてしまうのですが、自分のことは後回しにしてしまう方で。

要するに面倒くさがりという事です。

あとは保険証は手続きから手元に来るまで、2週間ぐらい掛かると思っていたので、私にとって体さえ壊さなければ保険証は必要ない。と考えたのです。


年も明け、働く場所も変えました。

そこではとても酷い目に遭い、私は26歳ですが、人生でもうこんな酷いことは絶対にないだろう。と今思うぐらい精神的にも肉体的にもきつかった時期が1月~4月でした。


調度、妊娠初期の頃ですね。

一番安静にしないといけない時期です。


私は夜の仕事をしていたのと、将来の夢や目標、趣味や好きな事行きたいところがたくさんあったので、将来の夢の仕事として色々な場所に行っていたので新幹線や飛行機や電車は一番多く乗った時期でしたし、海外に行きたくて長時間のフライトもありました。普段から10㎝を越える高いヒールを履いてました。それでよく足首がゴキッとなったり転けたりは多々ありました。さらにこの時期が極度のストレスだった時期でもあります。


仕事が本当にしんどくて辛くて、、、。

職場で仲良くなった人が唯一の仕事での支えで。

その人がいない日はあまりなかったのですが

いない日は、今日をどうやって乗り越えようか。それしか考えていなかったぐらいでした。

ある日、その人が辞める日が来たんですが、私にとっては、これからはポーカーフェイスで働かないとやっていけない。と決心した日でした。

他人からは、読めない人。と印象が付くと思うので、やりにくいですよね。


この時期は、だいたい3月ぐらいだったと思いますが、初期症状が出る頃ですね。

話した通りの職場だったので、その症状も全部、極度のストレスのせいだ。と思っていました。

以前にもストレスが掛かりすぎで発散の先が食に走り、少しずつ太っていきました。

今回も、症状は職場が嫌すぎて、行きたくなさすぎてこうなるんだと思っていました。


仲良くなった人も辞めて、私は本当にもう目の前に光が見えなくなった。という感じになりある日突然辞めます。と連絡をし、辞めました。



この先はまた長くなるので、次へ進みます。